FC2ブログ
2011-07-12

『朽ちていった命』 ~12年前、奪われた命の重さ~

昨日、息子が「お母さん、これ読む?」と、一冊の本を手渡してくれました。最近、息子が学校の図書館で借りてきた本を息子のあとに立て続けに借りて読んでいるので、またどう?と。(母も読ませていただいております;;)

そのタイトルを見た瞬間、「!」。

先週でしたか、新聞で紹介されていて、是非読みたいと思った1冊で、区の図書館で予約しておいたものでした。
(このあとすぐ予約を取り消しました。)しかし、この本に息子も興味を持ったのかと、不思議な感じがしながらも、嬉しくもありました。タイトルは。『朽ちていった命ー被曝治療83日間の記録ー』。NHK「東海村臨界事故」取材班の岩本裕さん執筆。

1999年9月、茨城県東海村の核燃料加工施設「JCO」東海事業所で起きた臨界事故を覚えていらっしゃいますか?この事故で被曝され、壮絶な治療のあとにお亡くなりになった大内久さんの、事故直後からお亡くなりになるまでの様子や治療スタッフの懸命な努力の軌跡、また悲しみに耐えていらっしゃるご家族の様子が描かれています。

当時、あの事故が起きた時、社会が騒然としました。「核施設で深刻な被曝」という事実は、非常に衝撃的でした。あってはならぬこと。あるはずはないと、政府も企業も約束していたこと。なのに起きてしまった!!
やっぱり、「核」って危ないじゃない!・・・そう思わされた出来事でした。

けれど、いつの間にかあの事故のことを社会も私たちも忘れていたのではないでしょうか。

そして、福島第一原発での事故。

あってはならぬ事故。あるはずがないと、政府も企業も繰り返し言ってきたことが、偽りだったと再び明らかになった出来事。

もし、福島第一の事故が起きなければ、この本が再び脚光を浴びたかどうかは不明です。この本が初めて出版されたのは2002年。そして文庫本として再出版されたのが2006年のこと。ですから、福島第一の事故が起きるなどとはまだ誰も予想だにしていなかった頃に書かれ、編集された本です。そして、それゆえに一層、この本の価値、この本が問いかけるものの尊さを感じます。

大内さんたちは、会社側から安全面を無視したマニュアルを教えられ、その作業の危険性は一切知らされることなく、事故にあいました。会社側が安全面を無視したのは、一言でいえば経営効率のためです。福島第一、いえ、日本の原発全て、同じ面があるのではないでしょうか。世界有数の地震国家であるにも関わらず、効率がよいということで、多少のリスクには目をつむり、原発を作り、操業する。政府も企業も「安全、安全、絶対安全」と言って。

JCOの施設は原発とは違います。また大内さんたちが被曝したのは中性子線ということで、福島第一で問題になっている放射性物質を浴びたり体内に取り込む被曝とは違う種類のようです。しかし、両者とも「核」が招いた事故。そして、JCOが加工していたのも核燃料、つまり原発で使用される燃料です。

被曝当初、意識もしっかりとしていて看護師や家族ともユーモラスな会話やほほえましい言葉を交わしていた、外見も健康な人とどこも違わないようだった大内さん。しかし、医師たちの予測通り、状態はただただ悪化していきます。一瞬よくなりかけたと思っても、染色体まで中性子線でずたずたに引き裂かれてしまった大内さんの身体は再生能力がほとんど残っていませんでした。最初は赤く腫れていただけだった皮膚も表皮がはがれおち、赤黒く変わっていく・・。

医師や看護師たちは懸命に大内さんの命を救うべく必死に治療に当たります。その甲斐もあり、これ程の高い中性子線を浴びた患者で、それ以上の日数を生き延びた人がいまだかつてないという日数を大内さんの命は持ちこたえます。けれど、既に意識もなくなり、見るからに痛々しい姿で命をつながされているかの大内さんの姿に、疑問を抱くスタッフもいました。「大内さんはこんなことを望んでいるのか」と。

けれど、明確な答えを出せないまま、医師も看護師も目の前に横たわる大内さんをなんとか救いたいと治療に当たるのでした。しかし、大内さんは83日間の被曝治療の後亡くなりました・・・。享年35歳。若すぎる死でした。

この本の中で私が一番深く考えさせられたのが、何度か出てくる医師の言葉、思いでした。大内さんの凄まじい闘病の様子を傍で見守る医師の「放射能とはなんと怖いものか。」「なんと恐ろしいものか。」という言葉、思い。

そして、大内さんの主治医であった医師が大内さんがお亡くなりになったときの記者会見でこう話されています。

『原子力防災の施策の中で、人命軽視がはなはだしい。現場の人間として、いらだちを感じている。責任ある立場の方々の猛省を促したい』

福島第一の事故に関して、同じ思いを抱く人は一体どれだけいらっしゃるでしょう。つまり、JCOの事故からの12年間もの間、何も変わっていなかったということなのです。

「原発に事故は起こらない。だから、万が一などの想定はあってはならない。ゆえに近隣住民に事故の際の避難用道具などを配布などすべきではない。」こういう考えが行政にも電力会社にもあったといいます。まさに「人命軽視」ではありませんか。

自分がよくなると信じようとしていた大内さん。奥さんに優しい言葉をかける大内さん。体格も良く、健康そのまののようだった大内さん。息子さんと一緒にやりたいこともたくさんあったはずの大内さん。焼酎の水割りを2杯飲んで9時に寝て朝6時には起きて、6時40分に仕事に向かう几帳面な大内さん。

そんな人がなぜ突然、悲惨な事故に巻き込まれねばならなかったのか。大内さんが、命を尽くして、私たちに見せようとしてくれたもの、それはなんだったのか。

本当に深く考えさせられます。

朽ちていった命
スポンサーサイト
2011-07-10

これはショック!  ~食の安全(涙)~

我が家は、牛乳の消費量はかなり多いと思います。

私もカフェオレを毎日2杯は飲みますし、長女もカフェオレ大好き、息子もおちびも朝はシリアルに牛乳かけますし、そのまま飲むことも多い・・・。(私はどうでもいいんですが;;)

なので、牛乳に関しては慎重に産地をチェックして購入していました。チェルノブイリの時も、放射性物質が含まれている牛乳を知らずに飲んだ子たちの中で、後に甲状腺がんにかかったお子さんがいたとも聞いており。

北海道産なら大丈夫、そう信じていました。

が、どうやら私は大事な情報を見のがしていたようです。

①福島の乳牛が北海道に移されていたらしいこと。

②実際、北海道の乳牛の牛乳からセシウムが検出されていたこと。

③放射性物質が含まれた牛乳をそうでない牛乳とブレンドして、基準値ぎりぎりに放射性物質を薄めて市場に出荷している場合もあるらしいこと。

頭をガツンとやられた感じです。多少なりとも、大事な情報は追っていると自負していたのですが((+_+))

一体、今まで我が家の子ザル軍団はどれくらい放射性物資を取り込んだやら・・・。

酪農家の方たちには申し訳ない、本当にそう思いますが、やはり、私は子どもらの健康に責任を持ちたい。

なので、これから当分、牛乳を買うのはやめます。いくら規制値を下回る、健康には問題ないと言われる値であっても、被曝の問題は足し算ですから。

パンやお菓子、アイスクリームなど、牛乳や乳製品を使った食品はたくさんあります。それらを全て避けることは正直難しい。せめて、たくさん消費しがちな牛乳だけは控えたい、そう思います。

北海道大学の牛乳検査結果はこちら
2011-07-01

招かれざるお客   ~恐怖の一夜~

数日前、恐怖の一夜を経験!

午前零時を過ぎた頃のこと。

1階の和室のカーペットの上に、黒い小さな点2つ発見。

むむむ?

ゲゲゲの鬼太郎よろしく、アンテナがピピピ反応!

やっぱり(~_~;)

虫です!蟻んこです!

これはいけない。早く退治せねば、部屋が蟻んこだらけになってしまう。

まずは、経路を絶たねば。

どこから蟻んこは侵入してきているのか。

外につながる部分は3つ。2つの窓と玄関につながる入口部分。

けれど、よく見ると、カーペットの上に、既に蟻んこが半端ない数。

もはや一人では対処できないレベルと判断。

深い眠りについていた夫を起こし、ひとりはカーペットの上の蟻んこが他に進出しないように、せっせと退治、ひとりは懐中電灯片手に外に出て、侵入経路捜索とその破壊を目指す。

そして、カーペットにあたっていた私は、ついに、蟻んこが群がる物体を発見。

原因はここか!

なんと、息子のバックパック。

テニスレッスン用のバックパック。

夕方レッスンに行ったあと、そのままどさっと和室に置いておいたらしい。

そのバックパックのポケット部分のチャックにすごい群がりよう。

そこへ外から夫が帰還。

「外からの侵入形跡なし」と。

ふたりで見つめる、息子の赤いバックパック。

赤い色に、黒い蟻んこ軍団が・・・くっきりはっきり。

「これだ。持ち帰ったんだ、テニスコートから!」

・・・そう、恐らく、テニスコートの隅にどさっと置いたバックパックに、蟻んこさんたちが甘いもの見つけて集合したのでしょう。

定期テスト前にも関わらず、週末に友達と遊園地に出かけたときも、このバックパック使っていました。お菓子も持って行っていたので、その食べ残しでも入っていたのでしょう。

夫が、蟻んこが群がる、バックパックのポケットのチャックを開けたら・・・

キットカットを食べたあとの、甘い香りのチョコが少ーしくっついた状態の包装紙が!

んもう!

真夜中の蟻退治にもう辟易・・・。もったいないかなとは思ったものの、必要なものを取り出した、蟻んこ群がりバックパックと蟻んこ散歩しまくりカーペットも、すべてサヨナラ決断。

カーペットも布製だったので、折りたためばそのままゴミ袋におさまってくれました。

この騒動で大活躍してくれたのは、液体の食器洗い洗剤。

過去の経験から、蟻んこの経路を断つのに絶大な効果があることを知っていたので、今回も和室から蟻んこが出ていって、被害が拡大しないように、敷居部分に食器洗い洗剤を塗ったり。そしたら、本当に、その部分を越えて出て行こうとはしないのです。騒ぎで階下へおりてきた長女がひどく感心していました。

「すごい効果だね!本当に嫌がってるね!洗剤越えないね!」

当の息子はぐうぐうぐう。

彼にとっては幸運な一日だったかも。

理由1:これが息子が起きていたときだったら、ものすごーーーーーーーい雷を私から浴びせられていたはず! 寝ていたおかげで、雷回避。

理由2:もし、テニスコートからの帰宅途中(自転車にて往復)に、自分のバックパックに蟻んこがくっついていることに気がついていたら、パニックに陥って、事故にあっていたかもしれないこと。私以上に虫アレルギー人間なのです。何も気がつかなかったおかげで、事故回避。

翌朝、私から事件を聞いて、驚きの表情の息子。「いやあ、ごめん、ごめん。そういえば、昨日寝る前、和室のカーペットで蟻見た。」



早く報告しておくれ~~~~。

真夜中にあの騒動はちょっときつかった。

しかし、事件はそれだけではなかったあの夜。

蟻んこ騒動が落着したのは午前1時半過ぎ。

まあ、私にとってはまだまだ宵の口。

が、夫にとっては真夜中も真夜中。そそくさとベッドに戻っていった夫。

けれど、残酷な運命は彼をおいそれと眠りにつくことを許しませんでした・・・。

午前2時過ぎ。

階段途中に、黒い物体発見してしまった私。

悪夢かと思いました。

そうです、北海道では見ないと言われる、あの・・・。

あれだけは出てほしくないと毎日祈る、あれ、です。

よりによってこんな日に。

私では対処できない。少なくとも、他に選択肢がある場合は。

再び、夫登場。

全て終わったのは15分後。

やはりすばしこかったそうです。

バンバン、新聞棒(新聞丸めたもの)の激しい音が何度も響いてきましたから・・・。

・・・本当に恐怖の一夜でした。

けれど・・・2度あることは3度ある・・・。

蟻んこときて、あれがきたら・・・次は・・・ま、まさかネズミ?????????????

で・・・翌日。本当に3度目があったんです(~_~;)。

また、それは後日・・・。

さて、息子が今後、テニスレッスンに行くときには、持たせることにしました。

フック

レッスン中にまた小さなお客さんを持ちかえらないように、コートのまわりの網状の柵にフックをひっかけて、そこにバックパックをかけるように。

やれやれ・・・でありました^^;
最新記事
プロフィール

フブキ

Author:フブキ
FC2ブログへようこそ!
NYでBROADWAY
に目覚め、やがてSPRING AWAKENING
に魂を奪われてから、すでに1年あまり。しかし、ごく最近、4年ぶりに東京にもどってきました! 久々の東京生活も実にスリリング♪

最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
現在の時刻 《東京・ニューヨーク》
日本は今何時かと、いつも気になります。